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<title>備忘録</title>
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<title>これから</title>
<description> 今日は、ちょっと以前ここで触れたことに関して。＞この世はいままで、「神界」「霊界」「仏界（鬼神界、一般的には幽界とも）」「仙界（自然霊界、いわゆるこの現世）」の四つの界で成り立っていました。＞これに「地獄界」を加えて五つで成り立っている＞ただ、これが最終的にどのように再構築されるのか、ということをおっしゃっている方は、わたしの知る限りでは、いません。これがどのように再構築されるのか、ということを書
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<![CDATA[ 今日は、ちょっと以前ここで触れたことに関して。<br /><br />＞この世はいままで、「神界」「霊界」「仏界（鬼神界、一般的には幽界とも）」「仙界（自然霊界、いわゆるこの現世）」の四つの界で成り立っていました。<br />＞これに「地獄界」を加えて五つで成り立っている<br />＞ただ、これが最終的にどのように再構築されるのか、ということをおっしゃっている方は、わたしの知る限りでは、いません。<br /><br />これがどのように再構築されるのか、ということを書こうと思います。<br /><br />「神界」以外の三つは消滅します。<br />ただしここでいう消滅とは虚無になるという意味ではなく、他のものに再構築されるという意味です。<br />「神界」「神仙界」「神霊界」「神法界」の四つです。<br />それはよくいわれる「ミロクの世」や「地上天国」とは違うのかと指摘されそう方もおられるかもしれませんが、違います。<br />「ミロクの世」や「地上天国」はこの四つに再構築される前の一つの段階であって、さらにその先にあるのがこの四つです。<br />「御神霊」を数えるのに「一柱、二柱」と「柱」と数えますが。<br />こう数えるのには意味があります。<br />天地が分離していること。そしてそれがいずれ天地が合わさってぴたっとはまってくっつくこと。<br />そのことを現しています。<br />天地が合わさってぴたっとはまってくっつく、その状態が「ミロクの世」や「地上天国」といわれる状態です。<br />ですから世界中の創世神話は天地開闢から始まっていますが、その時点ですでに見失われているものがあるということです。<br />天地の分離、そしてさらに「神界」「霊界」「仏界（鬼神界、一般的には幽界とも）」「仙界（自然霊界、いわゆるこの現世）」の四つの界への分離は（まず「神界」「霊界」がおこって、そして「神界」から「鬼神界」が、「霊界」から「自然霊界」が分離した）、「オオヤマズミ」がその分離した重みをすべて背負うことによって成り立つのですが（再構築時には「オホヤマズミ」となる）、その分離した時点で実はすでに「神界」は見失われています。そのかわりに「神霊界」が「神界」にとってかわって実際は「神霊界」「霊界」「仏界（鬼神界、一般的には幽界とも）」「仙界（自然霊界、いわゆるこの現世）」になっています。<br />その天地が分離している状態が、天地が合わさってぴたっとはまってくっつく、その状態になってはじめて見失われていた「神界」が見いだされるのですが（つまり見失われていただけでなくなっていたわけではない）、その理（ことわり）を示しているのが「アマノミナカヌシ」です。<br />「アマノミナカヌシ」がその理を示しているがゆえに「神界」は見失われている状態においても「神霊」は神霊と名乗れているわけですが。<br />本来は「神霊」自身が自ら「神」をとらえている必要があります。<br />これからは自ら「神」をとらえていない「神霊」は神霊でなくなります。<br /><br />さて。なぜこのようなことがおこったのか。<br />天地の分離がおきた理由を語られているのを私は見聞したことがないのですが。<br />それは、この世（現世という意味ではない）がどのように成り立っているのかをきちんととらえていないと難しいです。<br />その為にはこの世を超えたところをとらえていないと難しいです。<br />なぜなら、「マ」が関係しているからです。<br />実は純粋な「マ」というのは大きく区分けしたありようでは、この世より一個上の世界の存在です。<br />この世は「マ」なしには成り立ちません。<br />ただし純粋な「マ」はこの世で使うと「天魔」や「地魔」となり、それはこの世の存在です。<br />実は「神」と「魔」は能力的な差異はありません。<br />ではどこに差があるかといえば、この世が成り立っている本当の理をきちんととらえているのかどうかという差です。<br />では「この世」とは何なのか。<br />「この世」とは、「何かをよりしろにして成り立っている世界」です（そしてこの何かをよりしろにする過程で必ず不幸が生じる）。<br />ですから「神界」「神仙界」「神霊界」「神法界」の四つに再構築されてもそれで終了ではなく、それは「この世」、「何かをよりしろにして成り立っている世界」をひっくり返すことができる状態にもってきたに過ぎません。<br />最終的には「よりしろなしにつながる」ようにならなくてはなりません。<br />まあ、これにももっと奥の意味があるのですが、おいておきます。<br />ですから「神霊」であっても「魔」をなくすことはできません。<br />封じることができるだけです。<br />では「神」はどうなのか。<br />丸にチョンと書いて&#9737;と書いたりしますが。<br />実は「魔」であっても、この世が成り立っている本当の理をきちんととらえた瞬間「神」に成ります。<br />＞「神」と「魔」は能力的な差異はありません。<br />＞ではどこに差があるかといえば、この世が成り立っている本当の理をきちんととらえているのかどうかという差です。<br />ですから、当たり前といえば当たり前なのですが。<br />ただ、＞「神」に成ります、といってもその果たすべきレベルによって「神界」「神仙界」「神霊界」「神法界」の四つのいずれかに振り分けられるのですが。<br />この「この世が成り立っている本当の理」が「『根』から伸びている『天の真柱』」です（天の御柱でないことに注意）。<br />「根」の向こうにこの世を超えたところがあります。<br />「根」が何なのかもおいておきます。<br />丸にチョンのチョンが「『根』から伸びている『天の真柱』」が通っていることを表しています。<br /><br />このことが本当にわかるのは難しいです。<br />「神霊」であってもきちんと言い聞かせないと見失っていることが多いです。<br />（言い聞かせてきちんとそのことをとろうとしない「神霊」には「神霊」をやめてもらっています。）<br />そういう意味では完全な「審神」を行うのはとても難しいです。<br />「審神」は大きく分けて三つのポイントで行うのですが。<br />内容、気質、そしてこの軸が入っているかどうか。<br />上位の天魔になると、語る内容、気質については完璧に神と同等のものを持ってきます（能力的な差異はないのですから当たり前ですが）。<br />しかし絶対に誤魔化せないのは、この軸です。<br />なぜならこの軸が入ったとたんに「魔」は「神」になって「魔」でなくなってしまうのですから当たり前です。<br />ですからこの軸が完璧にとらえていないと、本当の意味での完璧な「審神」はできません。<br />ということは、「神」を見失った状態では、本当の意味での完璧な「審神」はできないということです。<br />（仏道で言う無上正等正覚に至り成したぐらいでは「地魔」レベルには対していけても、「天魔」の上位レベルをきちんと「審神」するのは無理です。）<br /><br />ちょっと脱線しましたが、ではなぜ天地の分離がおきたのか。<br />実は三つの天魔によってそれはおきました。<br />「すり替え」と「反射」と「偽装」です。<br />あまりにも普通のことばで拍子抜けするかもしれませんが。<br />もちろん何が何に「すり替え」られたのか、何を「反射」するのか、何を「偽装」するのか、ということがきちんととらえれらるかどうかが大切になります。<br />まず「この世が成り立っている本当の理」が「すり替え」られました。<br />それによって「この世」がもっと大きなものの一部にすぎないのに、「この世」がこの世だけで成り立っているととらえられました。<br />「根」の意味が違うようにとらえられるようになったのです。<br />これにより、もっと大きなものと「この世」のずれが現れてきました。<br />次に、スーパーの食品売り場の鏡のように、「神」をきちんととらえるのではなく、さも「神」があるように「反射」でみせかけました。<br />これにより「神」が見失われ「神」の現れである「神霊」が「神」であるという取り違いがおこりました。<br />これにより、「神」と「神」の現れである「神霊」にずれができるようになりました。<br />そしてこのずれを誤魔化すために、「神仙」を「霊」に偽装しました。<br />「神」を受けるのが「神仙」です。<br />「神」をきちんと受けられなくなり「鬼神」があらわれました。<br />「鬼神」をよりしろに「霊」が凝って「自然霊」が出てきました（これが現世です。仙とは自ずから集るという意味。）。<br />このように「神霊界」「霊界」「仏界（鬼神界、一般的には幽界とも）」「仙界（自然霊界、いわゆるこの現世）」ができあがってきました。<br />そしてすべてのずれが、一つに集ったものが「根」「地獄」ととらえられるようになりました。<br />なぜなら、本来この世より一個上の世界と「この世」をきちんとつないでいたものであったはずなのに、それがすべてのずれを生み出す元ととらえられるようになったのです。<br /><br />このように書くと少し知識のある方なら、グノーシス的な考え方ではないかと思う方もおられるかもしれませんが。<br />善悪的なとらえ方で語っているわけではないので、違うと思います。<br />（物質的なものが悪といっているわけでもない。きちんととらえていないことに問題があるといっているわけで。）<br />なら、一個上の世界のことを語れと言われそうですが、きちんととらえなければ誤解が生じるので詳しくは語りません（一個上の上にもっとある）。<br />（きちんとこの世を引き受けきってきちんととらえた上でないと無理。<br />実はそれが純粋な「マ」がこの世の存在である「天魔」や「地魔」になった原因なのです。<br />ですから本来は、ここまで語ることは、きちんとこの世を引き受けきってきちんととらえた上でないと「天魔」や「地魔」を生じる原因となってしまうのです。<br />今回ここで語っているのは、おおよそそのことができてきて、たぶん大丈夫なぐらいまできたのではないかと、思ったからです。）<br /><br />ここに書いたことを、そのままそうだと思えと言っているわけではありません。<br />きちんと自らとらえられないと意味がないですから。<br />ですが、読む人に委ねます、というわけにもいかない。<br />（上にも書いたようにそれだと、純粋な「マ」がこの世の存在である「天魔」や「地魔」になることを引き起こしてしまうので。）<br />では、なぜ今ここにこのように書いたのか。<br />再構築するための作業だととらえてください。<br />上にも書いたように、天地が合わさってぴたっとはまってくっつく、その「ミロクの世」や「地上天国」といわれる状態になっても、それは再構築の準備が整ったに過ぎないのです。<br />実際の再構築の作業はそこから、きちんとすべてを四つに「神」化していく作業なのです。<br />そういうわけで、ここに一応このように書いておきます。 ]]>
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<dc:subject>宗教</dc:subject>
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<title>忠告</title>
<description> 「神通」と「霊能」の違いがわからないレベルの霊能にたよるのは、やめておいたほうが良い。わたしは「神通」は使っても、「霊能」は基本的には使いません。簡単にいうと「神通」においては正しい（こころざしがたかい）ものがかつ。「霊能」では力が強いものがかつ。それから、「神」と「神霊」は違うものです。「神霊」と「霊」も違うものです。ここら辺の区分けは、きちんとできているひとはほとんど見ないですね。それから神懸
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<![CDATA[ 「神通」と「霊能」の違いがわからないレベルの霊能にたよるのは、やめておいたほうが良い。<br />わたしは「神通」は使っても、「霊能」は基本的には使いません。<br />簡単にいうと「神通」においては正しい（こころざしがたかい）ものがかつ。<br />「霊能」では力が強いものがかつ。<br />それから、「神」と「神霊」は違うものです。<br />「神霊」と「霊」も違うものです。<br />ここら辺の区分けは、きちんとできているひとはほとんど見ないですね。<br />それから神懸りという言葉がありますが、神が懸る（神につかわれる）レベルと神を背負うレベルは違います。<br />「神霊」は耳に語りかけたりしません。<br />耳に聴くようだと、いわゆるいままでだと眷属レベルです。<br />一応参考までに・・・。<br />（このようなことを、真摯に受け止めることができるかどうか。それが歩を進める上では大切なことだと思います。<br />いままでの私の経験では自己のレベルに執するが故に先に進めなくものが、あまりにも多いですから。）<br /><br />それからここだけに限りませんが、一般の方は、仏（もういませんが）や神を人間の方に引き寄せて考えるのはやめた方が良い。<br />仏や神を間違ってとらえるもとです。<br />仏や神霊なら（神はちょっと難しい）身近に接することができるのだから、直につきあったほうが良いですよ。<br />少し本気で勉強する気があるのなら白隠の本、もっと勉強するなら空海の十住心論の六－九住心はお勧め。<br />十住心論的見方ができるようになれば、禅の公案などで悟ったとあるのが、次の階梯に進んだという意味であることがわかりますよ。<br />（無上正等正覚に至り成したということを意味していない。）<br />これは一般の方への参考までに。 ]]>
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<dc:subject>宗教</dc:subject>
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<title>「仙」について</title>
<description> 神仙といっても、なんのこっちゃ、霞でも食って生きている人かいな、と思われる人もおられるでしょうので。（というよりほとんどそうかな？いわゆる霞でも食って生きている人、みたいなのはいわゆる尸解仙の仙人のことです。）もしくは、少し勉強なさっている方は、道教？。物語好きな人ならば、封神演義？。わたしのとりかたでは、ここでいう「仙」とは「おのずから集まってくる」という意味です。水と油が瓶に入れて振っても、お
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<![CDATA[ 神仙といっても、なんのこっちゃ、霞でも食って生きている人かいな、と思われる人もおられるでしょうので。<br />（というよりほとんどそうかな？いわゆる霞でも食って生きている人、みたいなのはいわゆる尸解仙の仙人のことです。）<br />もしくは、少し勉強なさっている方は、道教？。<br />物語好きな人ならば、封神演義？。<br /><br />わたしのとりかたでは、ここでいう「仙」とは「おのずから集まってくる」という意味です。<br />水と油が瓶に入れて振っても、おのずから分離するように。<br />おのずから集まってくることをいいます。<br />ですから、「神仙」とは「神」がおのずから集るという意味です。<br />「神仙」を体得して、本当の意味で神事を行うことが可能になります。<br />仙には、「霊仙」「天仙」「人仙」「地仙」などがありますが。<br />まあ簡単にいえば、「地仙」は物質的に困らない、「人仙」は人に恵まれる、「天仙」は運がいい、そういうことをいいます。<br />「霊」については、また別の機会に書くつもりですので、とりあえずおいておきます。<br /><br />「仙」といっても「神仙」とそれ以外の仙は根本的に違いますので、そのことは取り違えないで下さい。 ]]>
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<dc:subject>宗教</dc:subject>
<dc:date>2009-05-30T09:02:38+09:00</dc:date>
<dc:creator>はてな</dc:creator>
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<title>国之常立と国常立</title>
<description> 大本系の人も含めて、たぶん気付いている人は少ないと思いますが。国之常立（くにのとこたち）と国常立（くにとこたち）は別です。伊勢－白山　道さんのところでは、国常立太神としていますが。国之常立につけるなら太神、国常立につけるなら大神とつける方が良いと思います（つけるならですが）。なぜかは、おおまかには説明できるのですが、説明はひかえておきます。
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<![CDATA[ 大本系の人も含めて、たぶん気付いている人は少ないと思いますが。<br />国之常立（くにのとこたち）と国常立（くにとこたち）は別です。<br />伊勢－白山　道さんのところでは、国常立太神としていますが。<br />国之常立につけるなら太神、国常立につけるなら大神とつける方が良いと思います（つけるならですが）。<br />なぜかは、おおまかには説明できるのですが、説明はひかえておきます。 ]]>
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<dc:subject>宗教</dc:subject>
<dc:date>2009-05-27T06:32:16+09:00</dc:date>
<dc:creator>はてな</dc:creator>
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<title>続 はじめてのコメントへの返事　</title>
<description> 縁起空というHNネームからすると、仏教系から入った方が良いのでしたら、そちらの方からのお話から入っても良いです。そちらから入るとやや論理的な入り方になると思います。ただしその場合、わたしの中では仏道はもうなくなってしまったものですので、表層的には仏教的に書いても、その奥では違うものがある、という意識で読んでいただけると、旧来のありようではなく、再構築されつつあるありように入りやすくなると思います。と
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<![CDATA[ 縁起空というHNネームからすると、仏教系から入った方が良いのでしたら、そちらの方からのお話から入っても良いです。<br />そちらから入るとやや論理的な入り方になると思います。<br />ただしその場合、わたしの中では仏道はもうなくなってしまったものですので、表層的には仏教的に書いても、その奥では違うものがある、という意識で読んでいただけると、旧来のありようではなく、再構築されつつあるありように入りやすくなると思います。<br />というより、きづいているひとはきづいていると思いますが、お寺などに行っても以前とは雰囲気変わってるはずです。<br />と、走りすぎた。<br />ですから、ききたいことがございましたら、あいまいなききかたではなく、はっきりと自身の理解や考えやを示した上で実際的にきいた方が良いです。<br />これは神社などでも同じです。<br />漠然と地域の産土神に世界平和を祈られても、結構そこの神霊もこたえようがなくて、そうですね、ぐらいにしか受け取ってくれません。<br />ただしはっきりときくとかえりもはっきりでやすいので、なれていない方は受け取るほうが大変かもしれません。<br />ですので、はじめはゆっくり空気になじむところからはじめたほうが良いと思います。<br />実はこういうことは、意識の持ち方も大切ですが、身体性も結構大切なのです。<br /><br />こういう世界は特別な能力をもった者でなければとらえることができないと思っている方もいらっしゃるかもしれませんが、それは間違いです。<br />日本は物作り大国で多くの物作りのマイスターがいますが。<br />年期のはいった技術者などになると、1000分の1ミリ単位まで手先の感覚でわかるといいます。<br />それは別にわれわれと違う特別な能力によるものではなくて。<br />長年の経験によるものです。<br />ですから、まずは少しづつでもそういうものとふれていけば、いろいろときづくこともでてくるはずです。<br />そのためには、特別にこれを読めとかこれをしなければならないとかいうことはありませんが。<br />一般的な基礎的な教養や、長く伝えられてきた書にふれておくと、道を歩む上での助けになります。<br />その時にはわからなくても、歩をすすめていくと、あのとき読んだこれはこういう意味だったのか、とふっと気付いたりするものです。<br />神社などでその空気にふれるのも、そういういろいろな空気にふれて、空気の違いを感じることも第一歩としては悪くないと思うからです。<br />それぐらいやっている、だけどそんなぐらいで深い理解に入るとは思えない、そうならおれはいまどきとっくに悟るか神様だ、と思われるかもしれませんが。<br />それはきちんとしたこころざしがないからです。<br />きちんとしたこころざしをもって、歩をすすんでいけば、必ず今現在おのれのいる次元での限界にまでたどり着きます。<br />ただ、次の次元に入ろうとすれば、いったんそれまでの次元を捨てなければならない。<br />それが多くの人はできないのです。<br />多くの人は現状の自分を保ったまま、その次元で良くならないかなーと考えるものです。<br />ですから、古典を読んでも現状の自分に引き寄せてしか読まない。<br />だから、書物を読んでも、ほんとうの意味での次元をこえていく助けにならないのです。<br />次元をこえるには次元を超えるだけの理由がなければ、こえられるものではない。<br />なぜならそれまでの自分をいったん全部捨てなければならないのだから。<br />（だからといって怪しい宗教団体みたいに全財産おっぽっちゃたらだめですよ。あくまでもなにをどのようにとらえるかというはなしです。）<br />「老子」で何もないことを説かれたりしていますが。<br />あれは「法」をおさめたもののために説かれたもので、一般の方があれをそのままやったらまず失敗しますよ。<br />また、脱線した・・・。<br />つまり自ら何を成したいのか、それを成すためには現状を捨ててでも次の次元にとびこむことができるのか。<br />まあ、これは普通に生活していてもそうですが。<br />これがなかなか難しいのです。<br /><br />当たり前のことしか書かれていないな、と思っているのでしたら、まあ（笑）。<br />ここに書かれていることが、本当の意味で受けとることができた人はたぶん次元を超えた経験がある人です。<br /><br />今日はこのへんで。 ]]>
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<dc:subject>宗教</dc:subject>
<dc:date>2009-05-24T21:01:07+09:00</dc:date>
<dc:creator>はてな</dc:creator>
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